【ぼっち・ざ・ろっく!SS】ぼっちの夏祭りサバイバル|人混みを攻略するステルス作戦

あらすじ|ぼっちの夏祭りサバイバル

結束バンドの四人で夏祭りへ出かけることになった、後藤ひとり。

浴衣を着るだけでも限界なのに、会場には逃げ場のない人混み、喜多による写真撮影、そして珍しい楽器へ吸い寄せられるリョウまで待ち受けていました。

誰にも見つからず、仲間とはぐれず、無事に花火へ辿り着くことはできるのか。

逃げるために身につけた「陰キャのステルス能力」が、なぜか結束バンド全員を救うことになる、少し賑やかな夏祭りコメディです。

作品については、TVアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」公式サイトもあわせてご覧ください。


花火を背景に浴衣姿で自撮りをする結束バンドの四人と、笑顔の喜多郁代、虹夏に支えられる後藤ひとり、焼きそばを持つ山田リョウ

1.浴衣は陰キャの迷彩にならない

夏祭りの会場へ続く坂道は、人、人、人で埋め尽くされていた。

赤や黄色の提灯が頭上に連なり、焼きそばのソースと甘い綿あめの匂いが、湿った夏の空気に混ざっている。遠くからは笛と太鼓の音が聞こえ、そのたびに会場へ向かう人々の足取りが弾んだ。

その光景を前に、喜多郁代は両手を胸の前で合わせた。

「わあぁぁ! 見て見て、ひとりちゃん! 提灯がずっと奥まで続いてる! すっごくエモい!」

紺色の浴衣姿でくるりと振り返ると、袖と赤い帯が軽やかに揺れた。

「虹夏先輩、リョウ先輩、早く行きましょう! りんご飴も食べたいし、射的もしたいし、四人で写真も撮りたいです!」

「喜多ちゃん、まだ会場にも入ってないからね?」

黄色い花柄の浴衣を着た虹夏が苦笑する。

その隣で、リョウは屋台の並ぶ方向を眺めながら呟いた。

「食べ物は、ぼっちに買ってもらおう」

「なんでぼっちちゃんが全員分払う前提なの!?」

二人がいつもの調子で話している、その少し後ろ。

後藤ひとりは、すでに瀕死だった。

(人が……多い……!)

視界いっぱいに広がるのは、逃げ場のない人間の群れ。

家族連れ。友達同士。浴衣姿のカップル。楽しそうに写真を撮る若者たち。

誰もひとりのことなど見ていない。

しかし、ひとりの脳内では、会場にいる全員が一斉にこちらを振り返る映像が上映されていた。

『あのピンク髪の人、浴衣着てる』

『友達とお祭りに来たつもりなのかな』

『浴衣を着れば青春できると思ってそう』

(や、やめてください……! まだ何もしてないのに、架空の人たちから的確に心を刺されている……!)

ひとりは震える手で浴衣の袖を握りしめた。

今日の浴衣は、喜多と虹夏に選ばれた淡い水色のものだった。小さな朝顔の模様が入り、ピンク色の髪にもよく似合っている。

少なくとも、三人はそう思っていた。

ひとりにとっては違った。

普段のジャージは、周囲の景色に溶け込み、存在感を限りなくゼロへ近づけてくれる優秀な擬態装備である。

対して浴衣は、着ているだけで「今日は特別な予定があります」と全身で宣言する衣服だ。

つまり――。

(浴衣を着る……注目される……死ぬ……!)

完璧な方程式が成立した。

「ひとりちゃん!」

「ひゃいっ!」

突然、喜多が目の前まで近づいてきた。

「その浴衣、本当に似合ってる! 髪の色ともぴったりだし、すっごく可愛い!」

「かっ……!」

ひとりの顔から血の気が引き、次の瞬間には耳まで真っ赤になる。

(可愛い!? 公衆の面前で!? そんな重大な誤情報を大声で流さないでください! 訂正会見が必要になってしまう!)

「せっかくだし、入り口で写真撮ろうよ! 四人で!」

喜多がスマートフォンを取り出した。

ひとりの脳内に警報が鳴り響く。

――緊急事態発生。

――写真撮影イベントを確認。

――記録媒体に姿を残した場合、半永久的に黒歴史として保存される可能性あり。

「ぁ……あの……私、撮影係を……」

「四人で撮るんだから、ぼっちも入らないと」

リョウが淡々と言った。

「リョウの言うとおり! ほら、ぼっちちゃんもこっちおいで」

虹夏に手招きされ、ひとりは逃げ道を失った。

その場に膝から崩れそうになりながら、必死に周囲を確認する。

右には焼きそば屋台。

左には大きな祭りの案内看板。

その奥には神社へ続く細い石段があり、屋台街に比べて人通りが少ない。

(あの階段……覚えておこう。限界が来たら、あそこへ逃げれば……)

「ぼっちちゃん?」

「あっ、は、はいぃ……!」

虹夏の声で意識を引き戻される。

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。人混みではぐれそうになったら、私の袖をつかんでていいから」

そう言って、虹夏は自分の浴衣の袖を少し持ち上げた。

「そっ……袖……?」

ひとりは差し出された袖と虹夏の笑顔を交互に見る。

(虹夏ちゃんの袖をつかむ……? それはほとんど手をつなぐのと同じでは……? いや、布が一枚あるから違う……? でも袖は虹夏ちゃんの所有物で……つまり間接的に虹夏ちゃんに触れることになって……)

考えすぎた結果、ひとりの頭から細い煙が立ち上り始めた。

「ぼっち、処理落ちしてる」

「リョウ、観察してないで助けて!」

どうにか再起動したひとりは、震える指先で虹夏の袖の端をほんの少しだけつまんだ。

布を引っ張らないように。

虹夏に重いと思われないように。

それでも離れてしまわないように。

「よし。それじゃあ、行こっか!」

虹夏が歩き出す。

喜多は嬉しそうに屋台の方へ駆け出し、リョウはすでに財布を持っていない顔でその後を追った。

ひとりも、虹夏の袖をつまんだまま人の波へ足を踏み出す。

(誰にも気づかれず……誰ともはぐれず……)

ひとりは案内看板、屋台の柱、人々の流れる方向を素早く確認した。

(この戦場を、絶対に生きて帰る……!)

こうして、後藤ひとりの夏祭りステルス・サバイバルが始まった。#top

夏祭りの入口で、紺色の浴衣姿でスマートフォンを持ち、仲間へ笑顔で手を伸ばす喜多郁代

2.後藤ひとり、潜行開始

屋台街へ足を踏み入れた瞬間、四人の周囲を祭りの熱気が包み込んだ。

鉄板の上で焼ける肉の音。店員の威勢のよい呼び声。色鮮やかなお面や風船を手に、楽しそうに行き交う人々。

そのすべてが、後藤ひとりには敵の索敵網に見えていた。

(正面から歩くのは危険……。右側は焼きそば待ちの列で混雑。左側は金魚すくいを見ている人が多い。進むなら、屋台と屋台の間にある隙間を利用して……)

ひとりは虹夏の袖を指先でつまみながら、絶えず周囲へ視線を巡らせていた。

正確には、人の顔を見ることができないため、足元ばかりを見ていた。

だが、そのおかげで、下駄やサンダルの向き、人々が立ち止まりやすい場所、通行人の流れがわずかに薄くなる瞬間まで、手に取るように分かる。

(前方、子ども三人がかき氷を持って接近……! こぼした場合、周囲の注目が集まる可能性大……!)

ひとりは瞬時に進路を変更した。

虹夏の袖からそっと指を離し、祭りの案内看板の裏へ滑り込む。

数秒後、かき氷を持った子どもたちが楽しそうに駆け抜けていった。

危機を回避したひとりは、看板の反対側から顔だけを出した。

(回避成功……!)

「ひとりちゃん、あのりんご飴――」

喜多が振り返る。

そこに、ひとりはいなかった。

「……あれ?」

喜多は何度か瞬きをした。

「虹夏先輩、ひとりちゃんがいません!」

「えっ!?」

虹夏も慌てて振り返る。

ほんの数秒前まで袖をつかんでいたはずのひとりが、跡形もなく姿を消していた。

「ぼっちなら、そこにいるよ」

リョウが案内看板を指差す。

その陰では、ひとりが背中を丸め、看板とほぼ同じ幅に収まっていた。

淡い水色の浴衣が、偶然にも看板に描かれた青空の写真と重なっている。

「……保護色まで使ってる」

リョウは感心したように頷いた。

「使ってないよ! たまたまだよ!」

虹夏は看板の陰からひとりを引っ張り出した。

「ぼっちちゃん、急にいなくなったら心配するでしょ!」

「す、すみません……! でも、前方から赤色一号と青色一号を大量に含んだ冷却物体が接近してきたので……!」

「かき氷を持った子どもたちね」

「接触して服にかかったら、絶対に周りの人から見られてしまいます……!」

「そこまで考えてたの!?」

虹夏が驚いている横で、リョウはひとりをじっと見つめていた。

「いい能力だね」

「えっ……?」

「ライブのあと、ファンに見つからず帰れる」

「まだ見つかるほどファンいないでしょ!」

虹夏のツッコミを聞きながら、ひとりは再び人の波へ戻った。

しかし、一度潜行モードに入ったひとりを止めることは、もう誰にもできなかった。

射的屋台の前では、大きなのぼりの陰へ移動。

お面屋の前では、並べられたキャラクターのお面に紛れて静止。

綿あめ屋の前では、自分のピンク色の髪を巨大な綿あめの袋に重ねて存在感を消す。

喜多が屋台へ目を向け、再び振り返るたびに、ひとりは別の場所へ移動していた。

「ひとりちゃん!?」

喜多が左を見る。

いない。

右を見る。

いない。

背後を振り返る。

「き、喜多さん……」

「きゃあっ!?」

すぐ後ろに、ひとりが音もなく立っていた。

「び、びっくりした……! ひとりちゃん、いつからそこにいたの?」

「さ、三十七秒ほど前から……」

「全然気づかなかった!」

「ぼっち、ホラー映画にも向いてるかも」

リョウが言った。

「そっち方面の才能を開拓しないで!」

虹夏はひとりの両肩をつかみ、自分の正面へ立たせた。

「ぼっちちゃん、お願いだから普通に歩こう? 隠れながら進む方が疲れるでしょ?」

「で、でも……通りの真ん中にいると、私の存在が公共の空間を一人分余計に消費している気がして……」

「みんな一人分ずつ使ってるの!」

「わ、私だけ半人分くらいになれませんか……?」

「ならなくていいから!」

そのやり取りを見ていた喜多が、くすりと笑った。

「でも、ひとりちゃんってすごいね。私、何回も見失っちゃった」

「す、すごくないよ……。ただ逃げてるだけで……」

「それでも、こんな人混みの中をすいすい進めるのはすごいよ!」

屈託なく褒められ、ひとりの顔が徐々に赤く染まっていく。

「すいすいだなんて……私は人混みの排水溝を流れる水のような存在で……」

「例えが暗いよ、ぼっちちゃん」

「でも確かに、ぼっちは人の少ない場所を見つけるのが上手い」

リョウが、通りの先へ視線を向けた。

「行列が短い屋台も分かる?」

「えっ?」

「焼きそばが食べたい」

「結局それ!?」

虹夏が声を上げる。

「リョウ、お金持ってきた?」

「持ってない」

「知ってた!」

リョウは無言でひとりを見つめた。

その視線が意味するところを察し、ひとりは小さく身を縮める。

「わ、私が買う流れになってませんか……?」

「ぼっちのステルス能力なら、行列の短い店を見つけられる」

「能力を正しく使ってるようで、目的が完全にたかりだからね!」

結局、四人は少し先にある焼きそば屋台へ向かった。

ひとりが見つけたその店は、大通りから一本奥まった場所にあり、他の屋台に比べて行列が短かった。

「本当に空いてます!」

喜多が嬉しそうに声を上げた。

「ひとりちゃん、よく見つけたね!」

「あ……人が少ない場所は、常に探してるから……」

ひとりが小さく答える。

それは自慢できることではないと思っていた。

いつでも逃げられるように、人の少ない道を探す。

誰にも声をかけられない場所を探す。

注目される前に隠れられる物陰を探す。

ひとりにとって、それは長年染みついた習性だった。

しかし今は、その習性のおかげで三人が嬉しそうに焼きそばを買っている。

「ぼっちちゃんも食べようよ」

虹夏がパックを一つ差し出した。

「あ、ありがとうございます……」

ひとりが受け取ろうとすると、虹夏はその顔を覗き込んだ。

「大丈夫? ちょっと疲れてない?」

「えっ」

言われて初めて、ひとりは自分の呼吸が浅くなっていることに気づいた。

浴衣の帯は苦しく、周囲の声は絶えず耳へ流れ込み、人とすれ違うたびに肩が跳ねている。

潜行を続けているとはいえ、精神力は確実に削られていた。

「無理しなくてもいいよ」

虹夏は人の少ない神社の方角へ目を向けた。

「少し休んでもいいし、屋台を全部回らなくてもいいんだから。花火だけ見て帰るのでも、私はいいと思うよ」

喜多も心配そうにひとりを見つめる。

「ごめんね、ひとりちゃん。私、はしゃぎすぎちゃったかも」

「そ、そんな……!」

ひとりは慌てて首を振った。

三人は、自分に合わせて予定を変えようとしている。

その優しさは嬉しい。

同時に、申し訳なさで胃が縮みそうになった。

けれど、喜多が楽しそうに屋台を眺め、虹夏とリョウがいつものように言い合っている姿を見ていると、帰りたいとは思えなかった。

怖い。

疲れる。

できることなら、今すぐ段ボール箱の中に引っ越したい。

それでも――。

「あ、あの……私も……四人で花火、見たいです」

消え入りそうな声だった。

祭りの喧騒に紛れれば、誰にも聞こえなかったかもしれない。

しかし、三人にはきちんと届いた。

虹夏が柔らかく笑う。

「うん。じゃあ、無理しないで行こう」

「人が多くなったら、また私の袖つかんでていいからね」

「は、はい……!」

喜多も明るい笑顔を浮かべた。

「花火を見る前に、みんなで写真も撮ろうね!」

「しゃ、写真はまだ予定に残っているんですね……」

「もちろん!」

ひとりの顔から再び血の気が引いた。

「ぼっち、花火まで生きていられるかな」

「リョウ、不吉なこと言わないの!」

再び歩き始めた三人の後ろを追いながら、ひとりは周囲を確認する。

屋台街の先では、花火会場へ向かう人の数が少しずつ増え始めていた。

先ほどまで流れていた人波が、一か所へ集まり始めている。

(このまま進んだら、あの辺りはかなり混むかも……)

ひとりは祭りの入口で見つけた、神社脇の細い石段を思い出した。

大通りから外れた、暗くて人の少ない道。

逃げるために覚えておいた場所だった。

(本当に無理になったら……あそこへ……)

やがて、花火の開始を告げる放送が会場に流れた。

その瞬間、屋台街を歩く人々が一斉に同じ方向へ動き出す。

ひとりの目の前で、人の波が急激に膨れ上がった。

夏祭りステルス・サバイバルは、間もなく最大の難所を迎えようとしていた。#top

夏祭りの焼きそば屋台で、墨色の浴衣を着て焼きそばを持ち、代金を求めるように手を差し出す山田リョウ

3.陰キャ、まさかの司令塔になる

その直後、屋台街にいた人々が一斉に動き出した。

「花火会場はこちらでーす!」

係員の声を合図に、前後左右から人が合流する。

道を歩いていたはずの四人は、わずか数秒で人間の濁流へ放り込まれた。

「わあ、すごい人!」

喜多は目を輝かせた。

一方、ひとりの目からは光が消えた。

(人間の密度が高すぎる……!)

右に人。

左に人。

前にも後ろにも人。

誰かが一歩動けば、その空間を別の誰かが瞬時に埋める。

(隙間がない……! このままでは圧縮されて、厚さ三ミリの後藤ひとりになってしまう……!)

ひとりは虹夏の袖を両手で握りしめた。

先ほどまでの「指先でそっとつまむ」という遠慮は、すでに消滅している。

今や虹夏の袖は、荒れ狂う海に残された唯一の救命ロープだった。

「ぼっちちゃん、ちょっと近い近い!」

「す、すみません! でも手を離した瞬間、私は社会の波に分解されてしまいます!」

「分解はされないから!」

「虹夏、袖が伸びてる」

リョウが冷静に指摘する。

「リョウは見てないで助けてよ!」

「どうやって?」

「ぼっちちゃんの反対側を支えるとか!」

リョウは、ひとりの浴衣の袖をつかんだ。

「これで安定した」

「私を吊り橋みたいにしないでください……!」

左右から袖を引かれたひとりが、細長く伸び始める。

「ひとりちゃん、形が変わってる!」

「喜多ちゃん、そこ驚くところじゃないから!」

虹夏が叫んだ、その時だった。

リョウが突然、立ち止まった。

「虹夏」

「今度は何!?」

リョウの視線の先に、小さな露店があった。

並んでいるのは、木の笛、片手で持てる太鼓、棒に一本だけ弦を張った謎の楽器。

店頭の紙には、太い筆文字でこう書かれている。

『世界の珍楽器 試奏五百円』

「弦が一本しかない」

リョウの目が輝いた。

「だから?」

「ベースより簡単そう」

「楽器を弦の少なさだけで選ばないで!」

リョウは人の流れに逆らい、露店へ向かおうとした。

「ちょっとリョウ! 今そっち行ったらはぐれるって!」

虹夏が浴衣の帯をつかんで引き戻す。

「見るだけ」

「リョウの『見るだけ』は、店員さんと値下げ交渉を始めるところまで含まれるでしょ!」

「お金はない」

「もっとダメじゃん!」

二人が引っ張り合っている間に、人波が四人の間へ流れ込んだ。

「きゃっ!」

喜多が押される。

「喜多ちゃん!」

虹夏が手を伸ばすが、リョウの帯をつかんでいるため届かない。

「虹夏先輩ー!」

喜多の赤い髪が、人混みの向こうへ流されていく。

「リョウ、珍楽器見てる場合じゃない! 喜多ちゃんが!」

「喜多ちゃんの方が珍しい?」

「比較しなくていい!」

虹夏が振り返る。

「ぼっちちゃん、ここで待ってて!」

しかし、そこにひとりの姿はなかった。

「ぼっちちゃんまでいない!」

「ぼっちは、さっき喜多ちゃんを追って消えた」

リョウが答える。

「見てたなら言ってよ!」

その頃、ひとりは人混みの中を高速で潜行していた。

(喜多さんを見失った……!)

人、人、人。

どこを見ても人間の胴体しか見えない。

ひとりの視界は完全に遮られていた。

(こういう時は……顔を探してはいけない……!)

そもそも人の顔を見ることができない。

ひとりは迷わず視線を足元へ落とした。

下駄。

サンダル。

スニーカー。

その間を移動する、白い椿模様の赤い巾着。

(いた!)

喜多の巾着が人の隙間から見え隠れしている。

ひとりの脳内に、存在しないゲーム画面が表示された。

対象:喜多郁代

距離:十二メートル

状態:陽キャの海を漂流中

救出報酬:好感度上昇

(好感度上昇!?)

その表示を見た瞬間、ひとりの足が止まった。

(む、無理……! 救出した結果、喜多さんから正面を向いてお礼を言われたら……!)

脳内に、満面の笑顔の喜多が現れる。

『ありがとう、ひとりちゃん! やっぱり頼りになるね!』

「ひぎっ……!」

想像だけでひとりの体力が半分に減った。

しかしその間にも、赤い巾着は遠ざかっていく。

(でも、このままでは喜多さんが知らない陽キャ集団に自然加入してしまう……!)

祭りの翌日。

見知らぬ若者たちと肩を組み、集合写真に写る喜多。

『昨日お祭りで知り合ったみんなでーす!』

(喜多さんだったら本当にありえる……!)

ひとりの危機感が、羞恥心を上回った。

(救出しなければ!)

ひとりは人の流れを観察した。

右側のカップルが立ち止まる。

前の家族連れが左へ移動する。

かき氷を持った子どもが走り出す。

その一瞬だけ生まれた隙間へ、ひとりは体を滑り込ませた。

看板の陰へ。

屋台の柱の横へ。

大柄な男性の背後へ。

一度しゃがみ、綿あめの袋に同化。

そして次の瞬間には、数メートル先の提灯の下へ移動している。

通行人の誰も、ひとりの存在に気づかなかった。

(いける……! 今の私は人間ではない……! 祭り会場に発生したピンク色のノイズ……!)

やがて、喜多の背後へ追いついた。

「ひ、ひとりちゃん、どこ……?」

不安そうに周囲を見回す喜多。

その肩を、何かがそっと叩いた。

「ひゃっ!?」

喜多が振り返る。

そこには、ハイライトの消えた目で立つひとりがいた。

「ひとりちゃん!」

「救出に来ました……」

「きゅ、救出?」

「ここは危険です。陽キャの密度が高すぎます……」

「私も陽キャに含まれてる?」

「喜多さんは最高危険度です……」

「どういう意味!?」

説明している時間はない。

ひとりは喜多の袖をつかみ、人混みの横方向へ移動し始めた。

「ひとりちゃん、虹夏先輩たちは反対だよ?」

「正面突破は無理です……。別ルートを使います」

「別ルート?」

ひとりの目には、人混みの中に点在する死角が一本の道のように見えていた。

焼きとうもろこし屋台の裏。

祭りの案内看板。

空になった飲料ケース。

子ども向けのお面が並ぶ低い棚。

「ここです」

「えっ?」

ひとりは喜多を案内看板の裏へ押し込んだ。

「ひ、ひとりちゃん!? ここ、入っていい場所なの?」

「三秒だけ待ってください」

人の波が通り過ぎる。

「今です」

二人は次の遮蔽物へ移動した。

「ここでしゃがんでください」

「どうして?」

「綿あめと頭の位置を合わせます」

「私、綿あめの一部になるの!?」

喜多は困惑しながらも、ひとりに従った。

数十秒後。

虹夏が辺りを見回していると、背後から小さな声が聞こえた。

「虹夏ちゃん……」

「ぼっちちゃん!」

虹夏が振り向く。

そこには、いつの間にかひとりと喜多が立っていた。

「喜多ちゃんも! よかった!」

「ひとりちゃんが連れてきてくれました!」

「ぼっちちゃん、すごいじゃん!」

虹夏が褒めようとした瞬間、ひとりは素早く案内看板の陰へ隠れた。

「まだ褒めないでください……! ミッションが終わるまで精神が持ちません……!」

「褒めるのもダメなの!?」

「ぼっち、リョウの回収もお願い」

リョウの声が、少し離れた場所から聞こえた。

見ると、リョウは再び珍楽器の露店へ近づこうとしていた。

「リョウは自分で戻ってきて!」

「無理。流れが強い」

「珍楽器の方には進めてるでしょ!」

ひとりは看板の陰からリョウを見た。

続いて、神社脇へ延びる細い石段を見る。

祭りの入り口で、逃走用として確認していた道だった。

(喜多さん一名、虹夏ちゃん一名、リョウさん一名……)

ひとりの脳内に、新たなミッションが表示される。

仲間を全員回収し、目的地まで護送せよ。

(私が……三人を……?)

ひとりは震えた。

(無理です……。私は主人公の後ろについていく名前のない同行NPCなのに……!)

しかし、リョウは露店の笛を手に取ろうとしている。

このまま放置すれば、五百円を持っていないのに試奏を始める。

店員に声をかけられる。

虹夏が謝る。

結局、ひとりも一緒に頭を下げる。

(それだけは避けなければ……!)

ひとりの目つきが変わった。

「皆さん……私についてきてください」

「ぼっちちゃん?」

「この状況で生き残るには……私が司令塔になるしかありません……!」

「急に頼もしい!」

喜多が目を輝かせる。

「全員、気配を消してください」

「どうやって?」

虹夏が尋ねる。

「まず呼吸を止めます」

「死んじゃうから!」

「次に、存在感を消します」

「それができるの、ぼっちちゃんだけだよ!」

「私はもともと存在感が薄い」

リョウが戻ってきた。

「リョウは存在感じゃなくて、お金が薄いの!」

「虹夏、今のうまいね」

「褒めなくていい!」

ひとりは三人を一列に並ばせた。

先頭はひとり。

その後ろに喜多。

喜多の袖を虹夏がつかみ、虹夏の袖をリョウがつかむ。

「これで全員を接続しました……」

「遠足みたいで楽しいね!」

「喜多さん、今は遊びじゃないです……。これは護送任務です」

「ひとりちゃん、ちょっと楽しんでない?」

「そ、そんなことは……!」

ひとりは先頭に立ち、石段へ続く脇道を指差した。

「三秒後、人の流れが途切れます」

「分かるの?」

「皆さんの足元しか見ていなかったので……」

「理由が悲しい!」

「三、二、一……今です!」

四人は一斉に脇道へ飛び込んだ。

正確には、ひとりだけが滑らかに移動し、残りの三人は袖でつながったまま、よろよろとその後を追った。

「速い速い! ひとりちゃん速い!」

「リョウが重い!」

「歩くのが面倒になって、少し引っ張ってもらってる」

「自分で歩いて!」

四人は転びそうになりながらも、人混みを抜けた。

神社脇の石段へ入った途端、祭りの喧騒がわずかに遠ざかる。

人影もほとんどない。

「本当に空いてる!」

喜多が声を上げた。

「すごいよ、ひとりちゃん!」

「ま、まだです……!」

ひとりは息を切らしながら石段を上った。

「ミッションは、花火が見える場所へ到着するまで……!」

「ぼっち、完全にその気になってる」

「いいじゃん。今のぼっちちゃん、ちょっとかっこいいよ!」

虹夏の言葉に、ひとりの足が止まった。

「か、かっこ……?」

顔が一気に赤くなる。

「ぼっちちゃん、止まらないで!」

「褒められたことでシステムエラーが……!」

「こんなところでフリーズしないで!」

喜多と虹夏に背中を押され、ひとりは再び石段を上る。

最後の段を上りきった瞬間、視界が大きく開けた。

人の少ない神社の境内。

その向こうには、街を見下ろせる小さな高台があった。

そして夜空に、大輪の花火が打ち上がる。

「わあ……!」

喜多の声が弾む。

ひとりはその場へ崩れ落ちた。

「ミッション……完了……」

「ぼっち、燃え尽きてる」

「まだ一発目だよ!?」

虹夏の声を聞きながら、ひとりの魂は口から半分ほど抜け出していた。#top

混雑した夏祭り会場で、淡い水色の浴衣を着て、人の少ない神社の石段を真剣な表情で指差す後藤ひとり

4.ぼっちちゃんの特等席

神社の境内に到着したひとりは、完全に燃え尽きていた。

「ミッション……完了……」

石畳の上にぺたりと座り込み、そのまま徐々に平たくなっていく。

「ぼっち、まだ薄くなってる」

リョウがしゃがみ込み、地面と同化しつつあるひとりを指でつついた。

「厚さ二ミリくらい」

「測らなくていいから!」

虹夏がリョウの手を払いのける。

「ぼっちちゃん、大丈夫?」

「だ、大丈夫です……。今、失った立体感を取り戻しているところなので……」

「それ大丈夫って言わないよ!」

虹夏に背中を支えられ、ひとりはどうにか人間らしい形へ戻った。

石段を上りきった先には、屋台街の喧騒から少し離れた小さな高台があった。

境内の端には古い石灯籠が並び、その向こうには祭り会場と街の明かりが一望できる。

大通りほど人は多くない。

何組かの家族連れや近所の住民が、木陰や石段に腰掛けて花火を眺めているだけだった。

「すごい……!」

喜多が欄干の近くまで駆けていった。

夜空に大きな花火が咲き、赤い髪と浴衣を鮮やかに照らす。

「ここ、花火がすごくきれいに見えるよ! ひとりちゃん、早く!」

「は、はい……」

ひとりは立ち上がろうとした。

しかし、足に力が入らない。

数秒前まで司令塔として三人を導いていた人物とは思えないほど、頼りなく地面へ崩れ落ちる。

「もう歩けないです……。私の足は、先ほどの任務中に使い切りました……」

「足って使い切るものなの?」

「ぼっち、運ぼうか?」

リョウが言った。

「リョウが?」

虹夏が疑わしそうに尋ねる。

「うん。あそこまで引きずる」

「運ぶじゃなくて回収業者のやり方だよ!」

「地面を滑れば、ぼっちも得意そう」

「私を床用ワイパーにしないでください……!」

結局、虹夏と喜多に両脇を支えられ、ひとりは高台の端まで連行された。

四人が並んだ直後、夜空に金色の花火が広がる。

遅れて、腹の底まで響くような大きな音が届いた。

「わあ……!」

喜多が歓声を上げる。

虹夏も夜空を見上げ、嬉しそうに笑った。

「本当にいい場所だね」

「人も少ない」

リョウは境内を見回した。

「屋台も少ない」

「そこは残念そうに言わなくていいから」

ひとりは三人より少し後ろに立ち、花火を眺めた。

人混みからは離れている。

誰かにぶつかる心配もない。

知らない人から浴衣を見られる恐怖も、先ほどまでよりずっと小さかった。

何より、目の前には三人の背中がある。

(生き残った……)

胸の奥から、安堵が込み上げる。

(私は……あの人間の濁流から生還した……!)

ひとりの脳内に、再び存在しないゲーム画面が現れた。

MISSION COMPLETE

仲間の損失:ゼロ

珍楽器の購入:阻止

獲得経験値:十二

(経験値、少なっ……!)

命懸けの任務に対する報酬の低さに、ひとりは脳内で膝をついた。

「ぼっちちゃん」

「ひゃいっ!」

虹夏に呼ばれ、ひとりの体が跳ねる。

「今日はありがとう」

「え……」

「ぼっちちゃんが人の少ない道を見つけてくれなかったら、たぶん花火に間に合わなかったよ」

「それに、私を見つけてくれたもんね!」

喜多も振り返った。

「人混みの中からひとりちゃんが出てきた時、びっくりしたけど、すごく安心した!」

「そ、そんな……」

ひとりの顔が、みるみる赤くなっていく。

「私なんて、ただ人のいない場所へ逃げ続けた結果、偶然ここに辿り着いただけで……」

「でも、その逃げ道を私たちに教えてくれたでしょ?」

虹夏は笑った。

「ぼっちちゃんのおかげだよ」

その言葉が、ひとりの胸へまっすぐ飛び込んだ。

(虹夏ちゃんに……おかげって言われた……)

脳内のゲーム画面に、新たな表示が現れる。

特別報酬:仲間からの感謝

効果:幸福度+百

副作用:羞恥心+一万

(副作用が強すぎる!)

ひとりの頭から白い煙が噴き出した。

「ひとりちゃん、顔真っ赤だよ!」

喜多が心配そうに顔を近づける。

「でも、今日のひとりちゃん、すごく頼りになったよ。ちょっと忍者みたいでかっこよかった!」

「に、忍者……かっこいい……!」

ひとりの処理能力が限界を超えた。

「ひぎゃあぁぁっ!」

奇妙な悲鳴を上げ、その場から弾かれたように飛び出す。

「ぼっちちゃん!?」

ひとりは石灯籠の陰へ滑り込み、さらに近くの茂みへ頭から突っ込んだ。

浴衣の裾だけが、茂みの外へ残されている。

「消えた」

リョウが言った。

「消えてないよ! 足が見えてるから!」

虹夏が茂みへ近づく。

「ぼっちちゃん、出ておいで。せっかく花火が見えるのに」

「む、無理です……」

茂みの奥から、くぐもった声が返ってきた。

「現在、褒め言葉による精神的な集中砲火を受けています……」

「私たち、そんなに攻撃したつもりないんだけど」

「喜多さんの『かっこいい』で防御壁が崩壊しました……」

「ご、ごめんね?」

「喜多ちゃん、謝らなくていいよ」

虹夏は苦笑しながら、茂みの前へしゃがみ込んだ。

「でも、そこにいたら花火が見えないでしょ?」

「葉っぱの隙間から少し見えます……」

「見づらくない?」

「花火より、三人が楽しそうにしている方がよく見えるので……」

思わず漏れた言葉だった。

茂みの外が、一瞬だけ静かになる。

(あっ……)

自分が何を言ったのか理解した瞬間、ひとりの体が凍りついた。

(い、今のは違います! 皆さんを見ているという意味ではなく、監視対象として位置を確認していただけで……!)

「ひとりちゃん……」

喜多の声が、少しだけ弾んだ。

「すっごく可愛い!」

「ひぎぃっ!」

茂みが大きく揺れた。

「喜多ちゃん、今それ言ったら余計に出てこなくなるから!」

「でも可愛くないですか、虹夏先輩!」

「可愛いけど!」

「二人とも追撃をやめてください……!」

ひとりは茂みの奥へさらに潜ろうとした。

だが、枝が浴衣の帯に引っかかり、それ以上進めない。

完全に身動きが取れなくなったひとりは、葉の隙間から三人を見た。

虹夏。

喜多。

リョウ。

三人とも、こちらを待っている。

誰も花火の方へ戻ろうとはしていなかった。

「ぼっちちゃん」

虹夏は、自分の浴衣の袖を持ち上げた。

「戻ってくるなら、またこれにつかまっていいよ」

「……袖」

祭りの入り口で差し出された、虹夏の袖。

人混みの中で、命綱のようにつかんでいた袖。

ひとりはしばらく茂みの中でもぞもぞと動いた。

やがて、葉の間から手だけが伸びてくる。

震える指先が、虹夏の袖の端をそっとつまんだ。

「……引っ張ってください」

「うん」

虹夏が優しく袖を引く。

ひとりは茂みから、ずるずると地面を滑りながら引き出された。

「出てきた」

リョウが言う。

「ぼっち、釣れたね」

「魚みたいに言わないで!」

「大物?」

「私、そんなに重くないです……!」

虹夏に引き起こされ、ひとりは三人の隣へ戻った。

顔はまだ真っ赤で、視線は地面へ落ちたまま。

それでも今度は、誰かの後ろへ完全に隠れることはなかった。

「ひとりちゃん、花火見よう!」

「は、はい……」

喜多が夜空を指差す。

ちょうどその時、いくつもの花火が連続して打ち上がった。

赤。

青。

黄色。

色とりどりの光が夜空いっぱいに広がり、四人の浴衣姿を照らす。

「きれいだね、ぼっちちゃん」

虹夏が言った。

「はい……」

ひとりは小さく頷いた。

虹夏の袖をつまんだまま、そっと夜空を見上げる。

(人混みは怖かったし、浴衣は目立つし、写真撮影イベントもまだ残ってるし……)

このあと喜多が、必ず四人で写真を撮ろうと言い出す。

ひとりには分かっていた。

つまり、このミッションはまだ完全には終わっていない。

(でも……)

隣には三人がいる。

逃げ場所も覚えた。

最悪の場合は、また石灯籠や茂みに隠れればいい。

(もう少しくらいなら……生き残れるかもしれない)

ひとりがそう思った瞬間、喜多が勢いよくスマートフォンを取り出した。

「せっかくだから、花火を背景に四人で写真撮ろう!」

「やっぱり終わってなかったぁぁぁ!」

ひとりの悲鳴と同時に、夜空へ一際大きな花火が打ち上がった。

結束バンドの夏祭りは、まだしばらく終わりそうになかった。#top

花火が上がる夜の神社で、黄色い浴衣姿の伊地知虹夏が茂みの中へ優しく袖を差し出している

人混みから逃げるために覚えていた道は、いつの間にか四人を花火の特等席へ連れていく道になりました。

もっとも、ぼっちちゃんにとって最後の難関――喜多ちゃんによる「四人で記念写真」は、まだこれからです。

無事に写真へ収まることができたのか、それとも再び石灯籠や茂みへ潜行したのか。結束バンドの夏祭りは、花火が消えたあとも賑やかに続いていきそうです。

この記事に登場したキャラクターたちのファンアートは、BlueRabbit_Artのギャラリーページでもご覧いただけます。

※本記事は『ぼっち・ざ・ろっく!』を題材とした非公式の二次創作SS・ファンアートです。原作者・出版社・制作会社・その他の公式関係者とは関係ありません。

上部へスクロール