【ぼっち・ざ・ろっく!SS】秋の陽だまり、オレンジ色の溜息|虹夏が支えられる秋の夜【ファンアート】

あらすじ|いつもみんなを支える虹夏が、少しだけ疲れた秋の日

秋の放課後。

いつものようにSTARRYへ集まり、練習とくだらない会話を楽しむ結束バンドの四人。

後藤ひとりが困れば声をかけ、喜多郁代が走りすぎれば引き戻し、山田リョウが脱線すればすぐにツッコむ。

そんな「いつもの虹夏」に、誰も疑問を持っていません。

虹夏自身も、それが当たり前だと思っていました。

けれど、秋の夕暮れの中。

ふとした瞬間にこぼれた、小さな溜息。

「虹夏ちゃんがいるから大丈夫」なら――虹夏が大丈夫じゃない日は、どうなるのだろう。

これは、いつも誰かを支えている伊地知虹夏が、言葉にすることさえできなかった小さな疲れを、結束バンドの仲間たちにほんの少しだけ支えてもらう、秋の一日の物語です。

『ぼっち・ざ・ろっく!』については、TVアニメ公式サイトもあわせてご覧ください。

TVアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」公式サイト


1.いつもの放課後|秋限定スイーツと結束バンド

秋の放課後。

STARRYのスタジオには、窓から差し込んだ西日が長い影を作っていた。

練習の休憩中。

喜多はスマートフォンを手に、何やら楽しそうに画面を眺めている。

喜多:「ひとりちゃん、これ見て! このカフェ、秋限定のモンブランがすっごく可愛いの!」

ぼっち:「か、可愛い……?」

喜多が差し出したスマートフォンを、ひとりは恐る恐る覗き込んだ。

画面いっぱいに映っているのは、栗をふんだんに使ったモンブランと、紅葉を模した小さなチョコレート。

その周囲には、見るからにおしゃれな食器。

暖色系の照明。

そして――。

喜多:「写真撮るスペースもあるみたい! 今度みんなで行かない?」

ぼっち:「しゃ、写真……」

ひとりの顔から血の気が引いた。

ぼっち:「喜多さん……世の中には、食べ物を食べた記録を残さず、静かに胃の中へ埋葬したい人間もいるんです……」

喜多:「埋葬!?」

ぼっち:「食べ物との出会いは一期一会……記録なんて残したら、後世の人類から『こいつモンブラン食べてるときまでこんな顔だったのか』って発掘されるかもしれません……」

虹夏:「後世の人、そんなところ発掘しないよ!」

虹夏が笑いながら突っ込んだ。

いつもの四人。

喜多は今日見つけたという店の話をしていて、ぼっちはその勢いに押され、壁際でいつもより一回り小さくなっている。

リョウは二人の会話にはほとんど参加せず、椅子に座ったままベースを鳴らしていた。

ぽろん。

ぽろん。

ぽろろん。

突然、リョウが言った。

リョウ:「このコード進行、食べられそう」

虹夏:「どういう感想!?」

リョウ:「秋っぽい」

虹夏:「秋になるとコード食べるの!?」

リョウ:「栗っぽい」

虹夏:「栗要素どこ!?」

リョウは何事もなかったかのように、再びベースへ視線を落とした。

喜多:「リョウ先輩、その感覚すごいです!」

虹夏:「喜多ちゃん、そこ感心するところじゃないから!」

その横では、ひとりがまだスマートフォンに映ったカフェの写真を見ていた。

ぼっち:「……でも、モンブランはちょっと食べたいです」

喜多:「じゃあ行こうよ、ひとりちゃん!」

ぼっち:「ひっ」

一瞬で後悔した顔になる。

虹夏は笑った。

虹夏:「まあまあ。行くとしても四人で行けば大丈夫でしょ」

ぼっち:「四人……」

ひとりはしばらく考えたあと、小さくつぶやいた。

ぼっち:「……虹夏ちゃんがいるなら……」

虹夏:「ん?」

ぼっち:「な、なんでもないです!」

虹夏は首を傾げた。

まあ、いいか。

いつものことだ。

喜多ちゃんの話が暴走しそうなら少し抑える。

ぼっちちゃんが会話から落ちそうなら引っ張る。

リョウが意味不明な方向へ進んだら戻す。

時計を見る。

休憩時間はあと三分。

次は二曲目の頭から合わせたい。

喜多ちゃんのギターが前回より安定している。

ぼっちちゃんも今日は調子がよさそうだ。

リョウは――。

虹夏:「リョウ、それ私のお菓子じゃない?」

リョウ:「違う」

虹夏:「袋に『虹夏』って書いてあるんだけど!?」

リョウ:「偶然」

虹夏:「どんな偶然!?」

また笑い声が上がる。

虹夏も笑った。

こんな時間が好きだった。

ずっと欲しかった時間だ。

四人で音を出して。

くだらない話をして。

たまに喧嘩して。

また笑う。

だから――。

ふと、機材の黒い表面に映った自分の顔を見て、虹夏は少しだけ首を傾げた。

そこにいたのは。

笑う直前の自分だった。

ほんの一瞬。

何の表情もしていない自分。

虹夏:「……?」

喜多:「虹夏先輩?」

虹夏:「え?」

喜多:「どうかしました?」

虹夏:「ううん。なんでもないよ」

いつものように笑う。

本当に、なんでもなかった。


2.「虹夏ちゃんがいるから大丈夫」|少しだけ残った言葉

休憩が終われば、また音が始まる。

カウントを取る。

スティックを振り下ろす。

ギターが入り、ベースが重なり、喜多の声が乗る。

途中。

ほんの少しだけ喜多が走った。

虹夏はすぐに気づく。

演奏を止める。

虹夏:「喜多ちゃん、今ちょっと前に行ってたよ」

喜多:「あっ、やっぱりですか?」

虹夏:「うん。でも前より全然いいよ。もう一回そこからやってみよ」

喜多:「はい!」

次。

ぼっちちゃんの入りが少し遅れる。

ぼっち:「す、すみません!」

虹夏:「大丈夫大丈夫。そこだけ合わせよっか」

さらに次。

リョウが突然、予定になかったフレーズを挟む。

虹夏:「リョウ!」

リョウ:「良くなかった?」

虹夏:「良い悪いの前に今試さないで!」

リョウ:「芸術は突然生まれる」

虹夏:「予定通り生んで!」

リョウ:「それは芸術じゃない」

虹夏:「もう!」

笑いながら、また最初から。

そんなことを繰り返しているうちに、一曲が形になっていく。

最後の音が止まった。

喜多:「おおー! 今、すごく良くなかったですか!?」

虹夏:「良かった良かった!」

ぼっち:「ひ、引っかからずに最後まで行けました……」

ぼっちは信じられないものを見るように自分の指を眺めている。

リョウ:「私のアレンジがよかった」

虹夏:「入れてないからね!?」

虹夏が突っ込むと、喜多が笑った。

喜多:「やっぱり虹夏先輩がいると安心します!」

虹夏:「え?」

あまりに自然な言葉だった。

喜多は何の含みもなく続ける。

喜多:「私、走ってても自分じゃ分からないこと多いですし。虹夏先輩が止めてくれるから、安心して弾けます!」

ひとりも小さくうなずいた。

ぼっち:「わ、私も……虹夏ちゃんが大丈夫って言ってくれると……たぶん、本当に大丈夫なんだって……」

リョウも言う。

リョウ:「虹夏がいないと練習が終わらない」

虹夏:「それはリョウが好き勝手やるからでしょ!」

三人が笑った。

虹夏も笑う。

虹夏:「まあ、私に任せなさい!」

胸を張ってみせる。

嬉しかった。

本当に。

自分が必要とされている。

ずっと夢見ていたバンドの中に、自分の居場所がある。

――なのに。

「虹夏ちゃんがいるから、大丈夫」

その言葉だけが。

なぜか小さな棘みたいに胸のどこかへ残った。

じゃあ。

私が大丈夫じゃないときは?

そんな言葉が頭に浮かんだ瞬間、虹夏は自分でそれを打ち消した。

何考えてんだろ。

別に大丈夫じゃないわけじゃない。

嫌なことがあったわけでもない。

みんなといるのは楽しい。

バンドだって楽しい。

ただ。

少しだけ。

ほんの少しだけ。

リョウ:「虹夏?」

虹夏:「うわっ!」

横を見ると、リョウがじっとこちらを見ていた。

虹夏:「な、何?」

リョウ:「ぼーっとしてた」

虹夏:「してないよ!」

リョウ:「してた」

虹夏:「してない!」

リョウ:「してた」

虹夏:「小学生か!」

いつもの調子で言い返す。

でも。

リョウはそれ以上、何も言わなかった。


3.帰る人、残る人|静かになったSTARRY

練習が終わる頃には、外はすっかり夕方になっていた。

喜多:「すみません、私今日はちょっと早く帰ります!」

喜多が慌ただしく荷物をまとめる。

喜多:「家で用事があって」

虹夏:「うん、気をつけてね」

喜多:「はい! 虹夏先輩、また明日!」

虹夏:「またねー」

喜多:「ひとりちゃんも!」

ぼっち:「は、はいっ! お疲れさまです喜多さん!」

喜多が出ていく。

しばらくして、ぼっちもギターケースを背負った。

ぼっち:「じゃ、じゃあ私も……」

虹夏:「うん。ぼっちちゃんもお疲れ!」

ぼっち:「虹夏ちゃんも……」

ひとりが言いかける。

虹夏:「?」

ぼっち:「……お、お疲れさまです!」

ぺこり。

そのまま出ていった。

最後にリョウが立ち上がる。

リョウ:「私も帰る」

虹夏:「珍しく早いね」

リョウ:「お腹空いた」

虹夏:「いつも空いてるじゃん」

リョウ:「今日は特に空いた」

虹夏:「何も変わってないじゃん!」

リョウも出ていった。

リョウ:「じゃあね、虹夏」

虹夏:「はいはい。またね」

ドアが閉まった。

途端に。

静かになった。

さっきまでうるさいくらいだったのに。

音というものは、不思議だ。

あるときは気にならないのに、なくなった瞬間だけ、その大きさが分かる。

虹夏:「さて、と」

虹夏は立ち上がった。

やることは残っている。

椅子を戻す。

ケーブルをまとめる。

置きっぱなしになっているピックを拾う。

虹夏:「あ、喜多ちゃんまた忘れてる」

笑いながら拾う。

リョウが動かしたアンプを戻す。

虹夏:「もう、あいつは……」

そして。

ドラムの前へ戻る。

スティックをまとめ、ケースへしまった。

カチッ。

小さな音がした。

それだけだった。

なのに。

虹夏の手が止まった。

――帰るぞ、虹夏。

頭の中で。

昔の声がした。


4.「帰るぞ、虹夏」|昔は言われる側だった

夕方の練習スペースでドラムを続けたそうにする虹夏と、入口から迎えに来た伊地知星歌の姉妹の一場面

まだ今よりずっと小さかった頃。

音楽のことなんて、今ほど分かっていなかった。

ただ叩くことが楽しくて。

夢中になって。

時間なんて忘れて。

虹夏:「もうちょっと!」

星歌:「明日もできるだろ」

虹夏:「あと一回だけ!」

星歌:「その一回、今日何回目だよ」

星歌は呆れた顔をしていた。

それでも最後まで待ってくれていた。

星歌:「ほら、帰るぞ。虹夏」

その言葉を聞けば。

まだ叩きたいと思いながらも、最後にはスティックを置いた。

帰る時間を決めるのは、いつも自分ではなかった。

気づけば。

今は逆になっている。

虹夏:「ぼっちちゃん、そろそろ帰るよー」

虹夏:「喜多ちゃん、忘れ物ない?」

虹夏:「リョウ、それ持って帰って!」

いつからだろう。

「帰るぞ」と言われる側から。

「帰るよ」と言う側になったのは。

虹夏:「……そりゃ、成長したからでしょ」

誰もいないスタジオで、一人で答える。

当たり前だ。

昔のままではいられない。

ずっと誰かに頼っているわけにもいかない。

それに。

自分は今、幸せだ。

ずっと欲しかったものがある。

バンドがある。

仲間がいる。

夢だってある。

だから。

こんなことで寂しくなる理由なんてない。

虹夏:「……秋だからかな」

自分で言って、ちょっと笑った。

便利な季節だ。

なんとなく寂しい理由を、全部押しつけられる。

虹夏はドラムの椅子に座った。

もう片付けたばかりのスティックを、もう一度取り出す。

軽く。

一つ。

叩く。

タン。

もう一つ。

タン。

誰に合わせるでもなく。

誰かのテンポを直すでもなく。

ただ、自分のために。

ぽつりと口から出た。

虹夏:「……なんか疲れたな」

言ったあと。

虹夏自身が驚いた。

誰もいない。

よかった。

こんなの、聞かれたら心配される。

別に大したことじゃないのに。

虹夏はもう一度スティックを振った。

タン。

タン。

いつもより少しだけ遅い音が、静かな部屋に響いた。


5.帰れなかったぼっち|上級コミュニケーションは無理でも

一方、その頃。

後藤ひとりは絶望していた。

ぼっち:「ない……」

バッグを探る。

ない。

ポケット。

ない。

ギターケース。

ない。

ぼっち:「な、ない……!」

今日使っていたピックケースがない。

世界が終わった。

ぼっち:「ど、どうしよう……」

別に高価なものではない。

明日になれば買える。

いや、予備だって家にある。

しかし、ひとりの脳内ではすでに最悪の未来が構築されていた。

虹夏(脳内):「ぼっちちゃん、ピック忘れたの?」

喜多(脳内):「ひとりちゃんって意外とうっかりさんなんだね!」

リョウ(脳内):「ぼっち、ピックも管理できないんだ」

そしてSNS。

『結束バンドGt.後藤ひとり、私物管理能力に重大な欠陥か』

ぼっち:「社会的信用が……!」

まだ何一つ起きていない。

ひとりは来た道を戻った。

STARRYへ。

階段を下りる。

ドアの前まで来たところで。

音が聞こえた。

ドラム。

ひとりは足を止めた。

虹夏ちゃんだ。

まだ練習してるのかな。

でも。

なんだろう。

いつもの音と、少し違う。

上手い。

正確。

なのに。

少しだけ、遅い。

練習中の虹夏は、いつもみんなの音を聞いている。

ぼっちが遅れれば待ってくれる。

喜多が走れば引き戻す。

リョウが何か始めれば――まあ、それはだいたい止める。

だけど今のドラムは。

誰も待っていない。

ひとりは、ドアノブへ伸ばした手を止めた。

今日。

休憩中。

ほんの一瞬だけ見た虹夏の顔を思い出す。

笑っていなかった。

それだけ。

別に珍しいことではない。

人間は常時笑顔で生きる生物ではない。

むしろ常に笑っていたら、それはそれで怖い。

だけど。

なぜか気になった。

大丈夫ですか?

聞く?

無理。

他人へ「大丈夫ですか?」と聞くという行為は、相手の精神状態へアクセス権を要求する上級コミュニケーションコマンドだ。

拒否されたらどうする。

『別に大丈夫だけど?』

終わり。

その場で土へ還るしかない。

何かあったんですか?

さらに無理。

プライベート領域への不正アクセスで逮捕される。

ひとりは自分のギターケースを見た。

だったら。

言わなくてもできることは。

一つだけあった。


6.「ちょっとだけ、合わせてもいいですか」|言葉の代わりのギター

夕暮れから夜へ変わる静かなスタジオで、緊張しながらギターを持って立つ後藤ひとり

ドアが、ほんの少し開いた。

ぼっち:「……あ、あの」

虹夏が振り向く。

虹夏:「うわっ!?」

危うくスティックを落としそうになる。

虹夏:「ぼっちちゃん!?」

ぼっち:「ひっ! す、すみません!」

虹夏:「いやいや! びっくりしただけ! 帰ったんじゃなかったの?」

ぼっち:「か、帰る予定だったんですけど……忘れ物を……」

虹夏:「ああ」

虹夏は床に置かれたピックケースを見つけた。

虹夏:「これ?」

ぼっち:「それです!」

虹夏:「もう、ぼっちちゃんも意外とうっかりしてるね」

ぼっち:「ぐっ……!」

脳内シミュレーションが現実になった。

ひとりのHPが半分になった。

虹夏:「あ、ごめんごめん! そんな落ち込まなくても!」

ぼっち:「いえ……大丈夫です……私の社会的信用が少し毀損しただけなので……」

虹夏:「そこまで!?」

虹夏が笑った。

いつもの虹夏。

ひとりはピックケースを受け取った。

ぼっち:「じゃ、じゃあ……」

帰ろうとする。

でも。

足が止まった。

虹夏の手には、まだスティックがある。

ぼっち:「虹夏ちゃん」

虹夏:「ん?」

ぼっち:「あ……その……」

聞く?

無理。

帰る?

それも何か違う。

喉の奥で言葉が何度も引っかかった。

最終的に出てきたのは。

ぼっち:「……ちょっとだけ」

虹夏:「?」

ぼっち:「ちょっとだけ……合わせてもいいですか?」

虹夏が目を瞬いた。

虹夏:「今?」

ぼっち:「……はい」

虹夏:「何を?」

そこまで考えてなかった。

ひとりは固まる。

虹夏が吹き出した。

虹夏:「ふふっ。何それ」

ぼっち:「す、すみません……!」

虹夏:「いいよ」

虹夏は椅子へ座り直した。

虹夏:「やろっか」

ぼっち:「あ……はい」

ひとりもギターを構えた。

曲は決まっていない。

コード進行も。

テンポも。

何も。

ひとりが一つ、音を鳴らす。

虹夏が返す。

もう一つ。

今度はドラムから。

ひとりが合わせる。

決められた曲ではない。

だから失敗もない。

虹夏が少しテンポを上げれば、ぼっちがついていく。

虹夏が落とせば、ひとりも落とす。

虹夏が止まる。

ひとりも止まる。

少し間がある。

また虹夏が叩く。

ひとりが返す。

そんなことを繰り返した。

会話。

そう呼ぶには、あまりにも不器用なものだった。

でも。

たぶん。

ぼっちちゃんにとっては、これが一番喋りやすい。

虹夏は途中で気づいた。

いつもの練習では。

自分がみんなを見る。

自分が合わせる。

自分が支える。

でも今は。

違う。

ぼっちちゃんが。

ずっと。

自分の音を聞いている。

自分が速くなれば速く。

遅くなれば遅く。

何一つ急かさず。

何一つ直そうとせず。

ただ。

ついてきてくれる。

虹夏は、一度だけ目を閉じた。


7.オレンジ色の溜息|「ありがと、ぼっちちゃん」

最後の音が消えた。

静かになった。

さっきの静けさとは違った。

今度は。

嫌ではなかった。

虹夏はスティックを膝の上へ置いた。

虹夏:「……ぼっちちゃん」

ぼっち:「は、はい」

虹夏:「これ、何の曲?」

ぼっちが目を泳がせた。

ぼっち:「……分かりません」

虹夏:「分かんないの?」

ぼっち:「す、すみません……!」

虹夏:「なんで謝るの!」

思わず笑った。

声を上げて笑ったあと。

虹夏はふっと息を吐いた。

長い息だった。

オレンジ色だった夕方の光は、もうほとんど消えている。

虹夏:「……なんか」

ぼっち:「はい?」

虹夏:「いい曲だったね」

ぼっち:「……はい」

虹夏はスティックを見た。

聞いてみようかな。

どうして戻ってきたの。

どうして一緒に弾こうと思ったの。

私が変だった?

疲れてるように見えた?

でも。

やめた。

たぶん。

聞かない方がいい。

ぼっちちゃんも、言わない方がいい。

言葉にしてしまったら。

この子はきっと、真っ赤になって床へ沈む。

だから。

一言だけ。

虹夏:「ありがと、ぼっちちゃん」

ぼっちはしばらく黙っていた。

それから。

本当に小さな声で。

ぼっち:「……はい」

それだけだった。

それだけで。

胸の奥に引っかかっていた小さな何かが。

少しだけ。

軽くなった。


8.結束バンド、全員集合|曲名なしの秋の曲

ガチャ。

喜多:「虹夏先輩ー! すみません!」

ドアが突然開いた。

虹夏:「うわっ!?」

本日二回目。

喜多が入ってくる。

喜多:「忘れ物しちゃって――あれ?」

虹夏:「喜多ちゃん!?」

その後ろから。

リョウも顔を出した。

虹夏:「リョウ!?」

リョウ:「ただいま」

虹夏:「なんで帰宅したみたいに言うの!?」

リョウ:「財布忘れた」

虹夏:「それ忘れたら晩ごはん食べられないじゃん!」

リョウ:「だから戻ってきた」

虹夏:「命綱じゃん!」

喜多が部屋を見回す。

そして。

ギターを持ったぼっちと。

ドラムの前に座る虹夏を見た。

喜多:「二人で練習してたんですか?」

虹夏:「えーっと」

虹夏はぼっちを見る。

ぼっちはすでに危険を察知していた。

体がじわじわと小さくなっている。

虹夏:「ちょっと遊んでただけ」

リョウ:「何弾いてたの」

虹夏:「曲名なし」

リョウ:「曲名なし」

ぼっち:「い、いや、そもそも曲ですら……」

リョウは少しだけ考えた。

リョウ:「いい曲だった」

虹夏:「聞いてたの!?」

リョウ:「途中から」

虹夏:「声かけてよ!」

リョウ:「無料だったから」

虹夏:「ライブじゃないから!!」

虹夏の声がスタジオに響く。

喜多の目が輝いた。

喜多:「私も聴きたいです!」

ぼっち:「えっ」

喜多:「もう一回やりましょうよ!」

ぼっち:「ええっ!?」

ぼっちが青ざめる。

ぼっち:「む、無理です! 今のは偶発的に発生した奇跡というか、同じものを二度要求されると創作者が死ぬタイプの……!」

虹夏:「じゃあ違うのでいいじゃん」

虹夏が立ち上がった。

虹夏:「もう一曲やろ!」

ぼっち:「に、虹夏ちゃん!?」

虹夏:「喜多ちゃんも準備!」

喜多:「はい!」

虹夏:「リョウ!」

リョウ:「もう持ってる」

虹夏:「早いな!」

ぼっちが逃げようとする。

虹夏はその肩をつかんだ。

虹夏:「ぼっちちゃーん?」

ぼっち:「ひっ」

虹夏:「どこ行くの?」

ぼっち:「か、帰宅という人類に許された基本的人権を行使しようかと……」

虹夏:「却下!」

ぼっち:「人権がー!」

笑い声が上がる。

さっきと同じ。

四人分の音。

四人分の声。

でも。

少しだけ違う。

虹夏は気づいた。

今、自分はみんなを笑わせるために笑っているんじゃない。

自分が楽しいから。

笑っている。


9.秋の夜|太陽じゃない日があっても

STARRYを出ると。

夜の空気は思ったより冷たかった。

虹夏:「うわ、寒っ」

喜多:「もう秋ですねー」

喜多が空を見上げる。

少し前までは、あんなに暑かったのに。

季節は勝手に進む。

待ってくれない。

人間もたぶん、同じだ。

いつの間にか大人になって。

いつの間にか立場が変わって。

誰かに言われる側から。

誰かへ言う側になる。

前方では、喜多がリョウへ何か話している。

喜多:「リョウ先輩、さっきの曲、本当に良かったですよね!」

リョウ:「うん」

喜多:「秋っぽかったです!」

リョウ:「栗っぽかった」

喜多:「やっぱり栗なんですね!」

虹夏:「そこ納得するんだ!?」

虹夏が少し離れた場所から突っ込んだ。

少し後ろでは。

ぼっちちゃんが、相変わらず一人分くらい距離を空けて歩いている。

でも。

今日はそれでいいと思った。

虹夏は夜空を見上げた。

寂しさがなくなったわけではない。

疲れだって。

たぶん明日になれば、またある。

ぼっちちゃんを気にして。

喜多ちゃんを見て。

リョウへ突っ込んで。

練習時間を決めて。

みんなを引っ張る。

きっとこれからもそうだ。

自分が好きでやっていることだから。

でも。

ずっと大丈夫じゃなくてもいいのかもしれない。

誰かを照らす太陽じゃない日があっても。

少しくらい雲がかかっていても。

結束バンドの伊地知虹夏であることには、何も変わらない。

虹夏:「……今度」

虹夏は小さく呟いた。

虹夏:「疲れたって、言ってみよっかな」

そのとき。

喜多:「虹夏先輩ー!」

前を歩いていた喜多が振り返った。

喜多:「早く行きましょう! 駅前のコンビニに秋限定スイーツあるみたいですよ!」

虹夏:「また秋限定!?」

リョウ:「栗」

虹夏:「リョウはそれしかないの!?」

ぼっち:「虹夏ちゃん……」

後ろからぼっちが小さく呼ぶ。

虹夏:「ん?」

ぼっち:「私も……栗は……ちょっと食べたいです」

虹夏は一瞬きょとんとして。

それから笑った。

虹夏:「じゃ、行こっか!」

喜多:「はい!」

虹夏は走り出した。

いつものように。

先頭へ立つためではない。

誰かを連れていくためでもない。

少し先を歩いている。

三人に追いつくために。

秋の夜。

四つの足音が。

同じ方向へ重なっていった。

秋の夜のSTARRY前で、喜多郁代がスマートフォンを構え、虹夏・ひとり・リョウと4人で撮る結束バンドの自撮り風集合写真

いつも支える虹夏にも、支えられる夜がある

今回のSSでは、結束バンドのまとめ役としていつも周囲を支えている虹夏ちゃんが、秋の夕暮れの中でほんの少しだけ疲れを自覚する一日を描きました。

大きな事件が起きるわけでも、虹夏ちゃんが泣き崩れるわけでもありません。

それでも、いつも「大丈夫」と言ってくれる人にだって、大丈夫ではない瞬間はある。

そんな小さな変化に、言葉を交わすことが苦手なぼっちちゃんが「音」で気づく。

いつも虹夏ちゃんに助けてもらっているぼっちちゃんだからこそできる、不器用な恩返しのような時間になりました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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※本記事は『ぼっち・ざ・ろっく!』を題材とした非公式の二次創作SS・ファンアート作品です。原作・アニメ公式および関係各社とは関係ありません。

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