SSあらすじ|たきなの「答え」、千束の「正解」
九月に入った喫茶リコリコ。
いつも通り明るく、誰かの困りごとを見つければ迷わず手を差し伸べる錦木千束。
けれど、注文を間違える。物を忘れる。集中が途切れる。
そんな小さな綻びが増えても、千束は「大丈夫」と笑い続けていました。
誰かが少し楽になるのなら、自分が少し無理をすればいい。
それは千束らしい優しさであり、同時に彼女自身を孤独にしてしまう「正解」でもありました。
かつて「完璧でなければ価値がない」という正解に縛られていた井ノ上たきな。
その考えを壊してくれた千束に、今度はたきなが自分なりの「答え」を返します。
一人でできることでも、二人でやっていい。
これは、強すぎる少女が初めて誰かを頼るまでの、千束とたきなの小さな変化の物語です。
※本作は『リコリス・リコイル』を題材とした非公式の二次創作SSです。原作および公式関係者とは関係ありません。
リンク:リコリス・リコイル 公式サイト


1.いつも通りの千束|小さな綻び
九月に入ったばかりの東京には、まだ夏が居座っていた。
けれど、喫茶リコリコのドアが開くたびに入り込んでくる風には、ほんの少しだけ違う匂いが混ざっている。
「あー! 涼しい!」
錦木千束は両手を広げて、その風を全身で受け止めた。
「秋! 秋来たんじゃない!? これ!」
「最高気温はまだ三十度を超えるそうです」
井ノ上たきなが、カウンターの内側から淡々と返す。
「数字で夢を壊さないでよ、たきなー」
「事実です」
「秋ってことにしよ?」
「嫌です」
「頑固!」
そんな会話をしながら、千束はアイスコーヒーを一つトレイに載せた。
窓際の常連客のところへ運び、得意げに置く。
「お待たせしましたー!」
「あれ、千束ちゃん」
「はい?」
「私、ホット頼んだんだけど」
「…………」
千束が止まった。
ほんの一秒。
いつもの千束なら存在しないくらいの、妙に長い一秒だった。
「あっれぇー?」
カップを見る。
伝票を見る。
もう一度カップを見る。
そして両手を叩いた。
「秋先取りキャンペーン失敗!」
店内に笑いが起きる。
「ごめんなさーい! すぐ持ってきます!」
「珍しいねえ、千束ちゃんが間違えるなんて」
「私だって人間ですからねー。たまにはポンコツにもなります!」
千束も笑っていた。
だから、誰も気にしなかった。
たきな以外は。
「千束」
厨房へ戻ってきた千束に、たきなが声をかける。
「んー?」
「昨日、何時に寝ました?」
「えっ?」
千束が露骨に目を泳がせた。
「それ聞く? 乙女のプライベート聞いちゃう?」
「睡眠時間を聞いています」
「えーっと……ちゃんと寝たよ?」
「何時間ですか」
「…………それ重要?」
「重要だから聞いています」
千束は冷蔵庫を開いた。
「アイスコーヒー……じゃないや。ホット、ホット」
「千束」
「はいはい、寝ました寝ました」
そのとき、入口のベルが鳴った。
小学生くらいの男の子が顔を覗かせる。
「あ、千束お姉ちゃん!」
「おー! どうした少年!」
千束はすぐにいつもの笑顔になった。
男の子が、折れた傘を差し出した。
「これ、直せる?」
「あちゃー。骨いっちゃってるね」
「明日、学校に持ってかなきゃいけなくて……」
母親らしい女性が後ろから申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません。ホームセンター寄ろうと思ったんですけど、この子が千束ちゃんに聞けば何とかなるって」
「任せなさい!」
「千束」
「五分! 五分で直す!」
「店の仕事があります」
「だから五分!」
結局、十分かかった。
千束は工具箱を引っ張り出し、曲がった骨を直し、開閉まで確かめてから少年へ返した。
「はい! 復活!」
「すげー!」
「物は大事に使いなよー?」
「ありがとう!」
少年が笑う。
千束も笑う。
その顔を見ていると、たきなは何も言えなくなった。
昼過ぎ。
今度は近所の老人がやってきた。
買い物袋を片手に、少し困ったように店内を覗く。
千束はすぐに気づいた。
「どしたの?」
「いやあ、米を買ったら思ったより重くてね」
「家まで持ってこっか?」
「千束」
「すぐそこだから!」
「私が行きます」
「たきなは注文入ってるでしょ」
そう言って、千束は袋を二つまとめて持ち上げる。
「大丈夫、大丈夫。行ってきまーす!」
十分後。
戻ってきた千束は、額の汗を拭いながら冷蔵庫を開けた。
そして、そのまま動かなくなった。
「……」
たきなが見る。
「千束?」
「……何取りに来たんだっけ」
「水では?」
「あっ、それ!」
千束が笑った。
「怖っ! 脳が夏休み取ってる!」
笑いながら水を取り出す。
その横顔を見て、たきなは眉を寄せた。
千束は、いつも誰かを見ている。
困っている人。
暇そうな人。
泣いている子。
重い荷物を持っている老人。
少し元気のない常連客。
そして、たきな。
ほんの少しでも誰かの顔が曇れば、千束はすぐそこへ行く。
話を聞いて。
笑わせて。
できることがあれば引き受ける。
大したことじゃない、という顔をして。
それなのに。
千束自身が疲れているときだけは――。
誰にも見せようとしない。
「千束」
「なに?」
「今日は早く帰ってください」
「急だね!?」
「疲れています」
「疲れてないよ?」
「疲れています」
「たきなが決めるの?」
「はい」
「横暴!」
千束は笑った。
けれど、その笑顔を見ながら。
たきなはなぜか、胸の奥が少しだけ痛くなった。
この人は。
誰かが笑っていれば、それでいいと思っているのではないか。
その「誰か」の中に。
自分だけを入れ忘れているのではないか。
そんな気がした。
2.増えていく「大丈夫」|誰かのために自分を後回しにする千束
翌日。
千束はいつも通りの時間に店へ来た。
いつも通り元気よく扉を開け、
「おっはよー!」
と言った。
だから一瞬だけ、昨日の心配は考えすぎだったのかと、たきなも思った。
十分後には、その考えを撤回した。
「千束。それ、三番テーブルです」
「あ」
「そちらは一番です」
「あっははー。惜しい!」
「番号は離れています」
「細かい!」
さらに十分後。
「千束、砂糖がありません」
「あれ?」
さらに三十分後。
「千束」
「んー?」
「コーヒー、溢れています」
「うわっ!」
慌ててポットを起こす。
ソーサーまで黒い液体が広がっていた。
「珍しいわねえ」
カウンターでミズキが頬杖をつく。
「千束がそんなミス連発するなんて」
「今日はサービスデーなの!」
「何をサービスしてるのよ」
「人間味?」
「いらないサービスね」
「ひど!」
千束が笑う。
ミズキも笑う。
クルミもパソコンの向こうで肩を揺らした。
けれど、たきなは笑わなかった。
その日の夕方。
常連の女性客が帰り際、何気なく言った。
「そういえば千束ちゃん、昨日ありがとうね」
「ん?」
「母のところまで薬届けてくれたでしょう? 本当に助かった」
「全然全然!」
たきなが顔を上げる。
「薬?」
「昨日、店が終わった後ね。私どうしても仕事抜けられなくて」
「あー、ついでついで!」
「ついでではありません」
たきなが言った。
千束が振り返る。
「昨日、帰宅したのは何時ですか」
「えっ」
「老人の荷物を運んだあと、この方のお母様のところへ行ったんですよね」
「まあ……」
「その後は?」
「その後?」
「まだ何かしましたか」
千束が黙った。
クルミがパソコンから目だけを出す。
「商店街の電球交換してたぞ」
「クルミ!」
「あとミズキが忘れたクリーニングも取ってきてた」
「それはミズキさんが自分で行ってください」
「なんで私まで怒られてるの!?」
「いやー、ほら」
千束が頭を掻く。
「困ってたから」
まるで。
それですべて説明できると思っているような言い方だった。
「断ってもよかったのでは?」
たきなが聞く。
千束は少しだけ不思議そうな顔をした。
「なんで?」
「疲れていたからです」
「でも、できるじゃん」
「……」
「私がちょっと動けば済むなら、その方が早いでしょ?」
悪びれた様子はない。
本当にそう思っている。
「それにさ」
千束は少し声を落として笑った。
「困ってる人に『疲れてるんで無理でーす』って言って帰っても、家で気になるだけだし」
それから、いつもの明るい声に戻る。
「だったらやっちゃった方が、みんなハッピー!」
その言葉に。
たきなはすぐ反論できなかった。
千束らしいと思った。
どうしようもないくらい、千束らしい。
この人はきっと、自分のために無理をしているのではない。
誰かの「助かった」を一つ増やすためなら。
自分が少し疲れるくらい、本気で安いと思っている。
だからこそ。
厄介だった。
「私も手伝います」
「え?」
「今後、何か頼まれたら私にも言ってください」
「いやいや」
千束が手を振る。
「たきなまでやる必要ないって」
「二人なら早く終わります」
「でも、たきなにはたきなの時間あるじゃん」
「千束にもあります」
「私はいいの」
その言葉だけが。
やけに静かだった。
千束本人は気づいていないのだろう。
たきなの胸の奥に、その一言だけが残った。
――私はいいの。
「よくありません」
「大丈夫だって」
「昨日からそればかりです」
「ほんとに大丈夫だから」
少し強い声だった。
千束も気づいたらしい。
一瞬だけ表情が止まり、すぐ笑う。
「……ごめん。心配してくれてありがとね」
ぽん、と。
たきなの頭へ手を置く。
まるで。
心配している側を慰めるように。
「でも、ほんと平気」
たきなは、その手を払いのけられなかった。
温かかったから。
そして。
少しだけ、震えていたから。
3.簡単なはずの任務|たきなが気づいた「昔の自分」
その日の午後。
ミカから仕事が入った。
「護衛?」
千束がソファから身体を起こす。
「ああ。正確には民間人の退避支援だ」
ミカがタブレットを置く。
小規模な違法取引が行われている建物。
DAが突入する前に、事情を知らず施設内に残っている管理人を安全な場所へ移動させる。
敵性人物も少数。
危険度は低い。
「楽勝じゃーん」
千束が立ち上がった。
「私が行きます」
たきなが即座に言う。
「え?」
「千束は休んでください」
「いやいや、これくらい――」
「これくらい、ではありません」
たきなの声が強くなる。
「今日はすでに何度もミスをしています」
「店とリコリスの仕事は違うよ」
「疲労していることに違いはありません」
「大丈夫だって」
また。
その言葉。
たきなは千束を見る。
千束は笑っていた。
でも。
「私がちゃんとやれば済むから」
その瞬間。
たきなの中で何かが引っかかった。
知っている。
その考え方を。
正しくやればいい。
失敗しなければいい。
自分が全部できれば、問題は起きない。
以前。
自分もそう思っていた。
「……私も行きます」
「たきな?」
「二人なら問題ないでしょう」
「まあ、それなら」
千束は笑った。
「よろしく、相棒!」
差し出された拳へ。
たきなも小さく拳を合わせた。

4.千束でも、一人では二か所にいられない
任務が始まると。
千束は強かった。
廊下の角から飛び出した男が銃を向ける。
発砲。
千束はもうそこにいない。
身体を半歩ずらし、弾道から外れる。
二発目。
さらに避ける。
「はい、危ないもの没収ー!」
非殺傷弾が男の腕を撃ち抜き、銃が床へ落ちた。
たきなは少し後ろから、その姿を見る。
いつもの千束だった。
敵の視線。
呼吸。
銃口の角度。
撃つ直前の動き。
全部見えている。
疲れているからといって。
その才能が突然消えたわけではない。
だからこそ。
千束自身も思ったのだろう。
――やっぱり大丈夫。
建物奥から物音がした。
管理人だった。
予定していた避難場所ではなく、倉庫側へ逃げている。
「たきな、出口お願い!」
「分かりました」
たきなが走る。
その直後。
別方向から二人の男が現れた。
「千束!」
「見えてる!」
発砲。
千束がかわす。
一人へ撃ち返す。
もう一人が横へ回る。
千束は管理人の腕をつかんだ。
「こっち!」
敵。
管理人。
さらに奥から別の足音。
一瞬にして状況が増えた。
「千束、私がそちらへ――」
「大丈夫!」
千束が叫んだ。
「たきなは出口押さえて!」
たきなが止まる。
千束ならできる。
実際。
千束は次々と敵を無力化していく。
一人。
二人。
管理人を遮蔽物へ。
もう一人。
そのとき。
倉庫脇の扉が開いた。
新たな男。
銃。
千束は気づいた。
男が誰を狙っているのかも。
銃口の先にいる管理人も。
全部。
見えていた。
ただ。
遠かった。
千束は別の敵を押さえている。
管理人までは数メートル。
銃口が上がる。
「――っ!」
千束が走る。
間に合わない。
その瞬間。
黒い髪が視界を横切った。
「伏せて!」
たきなが管理人を突き飛ばす。
乾いた銃声。
「たきな!」
たきなの身体が揺れた。
千束の弾が、次の瞬間には男の銃を弾き飛ばしていた。
静寂。
「たきな!」
千束は駆け寄った。
「どこ!? 撃たれた!?」
「落ち着いてください」
「血出てるじゃん!」
「掠っただけです」
左肩。
制服が裂け、その下に赤い線が走っている。
致命傷ではない。
深くもない。
それでも。
千束は動かなかった。
たきなの肩から滲む血を見て。
顔から、すべての笑顔が消えた。
「……ごめん」
「千束?」
「ごめん……」
さっきまで。
何発もの弾丸を前にしても笑っていた少女が。
今は。
小さな声で謝っていた。


5.たきなが千束の「正解」を壊す
処置が終わった頃には、外はもう夕方だった。
たきなの傷は浅かった。
医師からも数日で問題なく動けると言われている。
千束は。
ずっと黙っていた。
リコリコへ戻ってからも。
窓際の席に座り、夕暮れを見ている。
たきなが向かいへ座った。
「千束」
「……」
「傷は大したことありません」
「うん」
「痛みもほとんど――」
「あの人が狙われてるの、分かってた」
たきなが止まる。
「敵が出てきたのも」
「……はい」
「銃口が向いてるのも」
千束は自分の手を見る。
「全部、分かってたんだよ」
声が震える。
「なのに間に合わなかった」
「千束」
「私がちゃんとしてたら」
また。
その言葉だった。
「私がもう少し早ければ」
「違います」
「違わないよ」
「違います」
たきなが言い切った。
千束が顔を上げる。
「千束の能力の問題ではありません」
「……」
「敵にも気づいていました。状況も把握していました」
「だったら――」
「私に任せなかったことが問題です」
千束が黙った。
たきなは続ける。
「一人で敵を制圧して、一般人を守って、周囲まで確認する」
「……」
「一人で全部やろうとした」
「だって、できると思ったから」
「できませんでした」
千束の顔が歪んだ。
たきなは容赦しなかった。
でも。
声は少しだけ柔らかかった。
「千束」
「以前の私も、似たようなことを考えていました」
「……たきなが?」
「正しくやればいい。失敗しなければいい。自分が完璧なら問題は起きない」
たきなは自分の手を見る。
「できなければ、自分には価値がないとまで思っていました」
千束は何も言わない。
「でも」
たきなが千束を見る。
「その正解を壊したのは、千束です」
千束の目が少し大きくなる。
「失敗してもいい」
「遠回りしてもいい」
「意味があるかどうかを、誰かに決めてもらう必要もない」
「それを私に教えたのは千束です」
「……私、そんな立派なこと言った?」
「言葉ではありません」
即答だった。
「千束がそうしていました」
夕日の色が。
少しずつ店内へ伸びてくる。
たきなは静かに息を吸った。
「だから今度は」
一度だけ。
言葉を区切る。
「私が、千束の正解を壊します」
千束が目を伏せた。
しばらく。
何も言わなかった。
やがて。
「……私さ」
小さな声。
「たきなに心配かけたくなかったんだよね」
「はい」
「ミズキにも、クルミにも、先生にも」
「……」
「みんな、それぞれやりたいことあるじゃん」
千束は笑おうとした。
でも。
うまく笑えなかった。
「私がちょっと頑張れば、そのまま楽しくやれるならさ」
「その方がいいじゃん」
「私、結構なんでもできるし」
「だから」
千束の声が詰まる。
「私のことで、誰かが困るの、嫌なんだよ」
たきなは。
ようやく分かった気がした。
千束は自分を大事にしていないわけではない。
生きることを楽しんでいる。
やりたいこともたくさんある。
でも。
誰かと自分を天秤へ載せた瞬間だけ。
迷わず、自分を軽い方へ置く。
そういう人なのだ。
「千束」
「ん?」
「それは千束が決めることではありません」
「……え?」
「私が心配するかどうか」
「手伝うかどうか」
「千束のために時間を使うかどうか」
たきなは千束の目を見る。
「それを決めるのは私です」
「でも――」
「私が嫌なら断ります」
「……」
「私は嫌ではありません」
千束が瞬きをした。
「むしろ」
たきなは少しだけ眉を寄せる。
「勝手に必要ないと判断される方が不愉快です」
「……怒ってる?」
「少し」
「ごめん」
「謝るところではありません」
「難しいなあ」
ほんの少し。
千束の口元が緩んだ。
たきなも、それを見て続ける。
「今日もそうです」
「千束は全部分かっていました」
「全部できると思った」
「でも」
たきなが包帯の巻かれた肩へ軽く触れる。
「千束は一人しかいません」
そして。
当たり前のことを言うように。
「だから、私がいるんでしょう」
千束は。
何も答えなかった。
ただ。
目元を手で隠した。
「……ずるいなぁ」
「何がですか」
「たきな、そういうこと言うようになった?」
「誰の影響でしょう」
「私かなあ」
「千束です」
「そっか」
小さく笑う声。
その声は途中で少しだけ震えた。
でも。
今度の震えを。
千束は隠そうとしなかった。
6.二人で出す「答え」|一人でできても、二人でいい
数日後。
「たきなー」
「駄目です」
「まだ何も言ってない!」
「どうせ働かせろと言うつもりでしょう」
「エスパー!?」
喫茶リコリコ。
たきなの肩にはまだ小さな包帯が残っている。
千束はすっかり元気になっていた。
正確には。
元気になったから働こうとして、たきなに止められていた。
「もう大丈夫だって!」
「信用がありません」
「ひど!」
「実績です」
「その言い方最近好きだよね!?」
カウンターの向こうでミズキが笑う。
「いいじゃない。たまには休みなさいよ」
「この前、私にクリーニング取りに行かせた人が言う?」
「過去は振り返らない主義なの」
「便利な主義!」
クルミがパソコンから顔を出す。
「千束」
「なに?」
「ココア」
「自分でやって!」
「病人に頼み事をさせるな」
「誰が病人だ!」
いつものリコリコだった。
笑い声。
食器の音。
コーヒーの香り。
窓から入る風は、数日前より少しだけ涼しくなっている。
閉店前。
たきながテーブルを拭いていると。
千束が奥から段ボール箱を抱えて出てきた。
「あ」
たきなが見る。
「千束、それは私が――」
「大丈夫大丈夫、このくらい――」
そこまで言って。
千束が止まった。
いつもの言葉。
大丈夫。
このくらい。
私がやれば。
千束は箱を見る。
たきなを見る。
もう一度、箱を見る。
「……たきな」
「はい」
少しだけ。
気まずそうに笑う。
「こっち半分、お願いしていい?」
たきなは何も言わなかった。
ただ箱を一つ受け取った。
「はい」
「……それだけ?」
「何がですか」
「いや、もっとこう……『やっと成長しましたね千束!』とか」
「言いません」
「褒めてくれてもいいじゃん!」
「普通のことなので」
「厳しいなあ!」
二人で箱を運ぶ。
一人でも。
きっと千束なら運べた。
少し重いだけだ。
それでも。
今日は二人で持っている。
千束が横を見る。
たきながいる。
当たり前のように。
同じ箱を持って歩いている。
「ねえ、たきな」
「はい?」
「二人だと楽だね」
「最初からそう言っています」
「そーでした」
千束が笑った。
今度は。
誰かを安心させるための笑顔ではなかった。
ただ嬉しくて。
楽しくて。
隣にいる人へ向けた笑顔だった。
店の入口から、涼しい風が吹き込む。
夏の名残を少しだけ残しながら。
新しい季節の匂いを運んでくる。
一人でできることは。
これからもきっと、たくさんある。
千束なら。
人よりずっと多いだろう。
けれど。
一人でできることを、一人でやらなければならない理由なんてない。
千束がたきなの「正解」を壊したように。
今度はたきなが、千束の「正解」を壊した。
そしてそのあとに残ったものを。
二人はまだ、うまく言葉にはできない。
だから。
「答え」はこれから。
二人で見つければいい。
「千束、そちらが重いでしょう。もう少しこちらへ寄せてください」
「えー、たきな怪我人なんだから!」
「では千束が全部持ちますか?」
「それはダメなんでしょ?」
「分かっているじゃないですか」
「あはは!」
二人の笑い声が。
九月の風に、静かに混ざっていった。

あわせて読みたい|千束がたきなの「正解」を壊した物語
今回のSSでは、かつて千束に救われたたきなが、今度は千束の「一人で全部やればいい」という正解を壊す側になりました。
その対になる物語として、以前公開した「たきなの孤独」を描いたSSもおすすめです。
▶ 【リコリス・リコイル】たきなの孤独の正体――千束が示した1つの「不完全でもいられる居場所」
前作から続けて読むと、「千束からたきなへ渡されたものが、今度はたきなから千束へ返っていく」という二人の関係性を、より深く楽しめると思います。
BlueRabbit_Artのリコリコファンアート
千束やたきなをはじめ、BlueRabbit_Artで公開しているイラストの大きなサイズや作品はギャラリーでもご覧いただけます。
※本記事は『リコリス・リコイル』の非公式二次創作・ファンコンテンツです。




